長い。とにかく長い。実に1000ページもある。そして1000ページ分の何かを得られるかというとそんなことはない。そのため効率を重視する人は読まない方がよい。そういう小説である。
本作は太平洋戦争についての「裸者と他者」に次ぐ有名なアメリカ小説であるが、ノーマン・メイラーの才能が二位以下を大きく引き離したらしく、ジェームズ・ジョーンズはだいぶ離れて息も絶え絶えにゴールしたような格好である。
かといってひどい小説ではない。それぞれのエピソードはよく書けていて小説としてある基準は軽々と越えていると思う。
それではなぜこんなことになっているのか。
ひとつは太平洋戦争についての小説であるにもかかわらず、ほとんど戦闘シーンが出てこないことである。それもそのはずこれはハワイに駐留するアメリカ軍の話で、900ページ目くらいにやっと真珠湾攻撃が出てくる。しかしそのあとはまたアメリカ兵士の話がダラダラと続く。
主人公は二等兵であるプルウィットと軍曹であるウォーデンの二人で、プルウィットは自分の自由のためなら何者にも従わないという男である。かれはボクサーとして優秀なのだが、ボクシングに入れ込んでいる部隊においてボクシングをすることを拒否する。そのせいでいじめが始まり、そしてさらに反抗することで営倉に入れられた後はそこの兵士たちと仲良くなり、しかし一人が上官のいびりで殺され、その復讐を遂げる。結局そのせいで軍から離れるハメになり、真珠湾攻撃のあとに軍に戻ろうとしたところで手違いで殺されてしまう。最後まで自分の自由に殉じたプルウィットに対し、なんでも器用にこなすウォーデンはしかしそんな自分を嫌っており、上官の妻と浮気している。これもウォーデンの破滅願望の表れだと思うが、彼女に勧められてウォーデンは毛嫌いしていた将官にしぶしぶなることを受け入れ、試験にも受かるが真珠湾攻撃のせいで彼女は本土に去ることになり、ウォーデンは将官になることを拒否する。
という戦争小説というより要は「パピヨン」とか「陸軍残酷物語」みたいな話である。そして人の自由とは何か、それを守り通すとは何か、ということへの考察に関しては「パピヨン」の方が数段上である。
たぶん「裸者と他者」のように実存主義的の影響があるのだけれど、「性」(50年代の小説はなんでやたらと露悪的に性を扱うのだろう)の問題ひとつ取っても単なる性欲の強さや性規範の攪乱など上っ面をなでているだけという印象がある。
またプルウィットとウォーデンはキャラがかなりかぶっている。二人の間に友情が、とか言われてもそりゃほとんど同じ人間なんだからそうでしょうね、としか言いようがない。プルウィットはひなびた炭鉱町出身で放浪の生活を送ってきたというかなり野卑な人間のはずなのだがあまりそれも感じられない。人物描写は全然うまくない。
だがここまではまだいい。あらすじは面白そうだ。だから映画化されたらアカデミー賞を総なめしたのだ。そう。2時間に凝縮されれば。
二つ目の致命的な問題はその長さの質の問題である。この小説はひとつひとつのシークエンスの間に「哲学的」思考がはさまるという形になっている。どこかで読んだ形式だと思っていたらやっぱり出てきたトマス・ウルフ。プルウィットはトマス・ウルフを熱心に読んでいるシーンが途中に出てくるのだが、作者の天分がトマス・ウルフと違いすぎたせいで、それなりによく書けている(それでも余計な描写が多すぎる)シークエンスの合間に誰でも思いつくような凡庸なアイデアがはさまり、それがただむやみに小説を長くしている。これはプルウィットと娼婦、ウォーデンとカレン(上官の妻)の描写のときに顕著で、戦争のことだけ書けよと何度思ったことだろうか。
三つ目は作者の考えの足りなさである。この小説は今だったらアカデミズムで集中砲火を浴びるだろうと思うのだが、そのくらいジェンダーやコロニアリズムの問題に無自覚である。プルウィットもウォーデンも気持ち悪いくらい常に女に飢えているのだが、かれらの女性に対する態度は自己中心的そのものである。プルウィットは自分の思い通りにならないという理由で最初に付き合っていた日本系のハワイ女性にひどい態度を取って振るし、娼婦にも反抗期の子供が母親にするような態度を取っているのに女性たちはみんなプルウィットに無条件に優しい。ウォーデンもカレンに対して自分の都合を押し付ける傾向が強く、しかもカレン以外の女性のことをほとんど物としか見ていない。
これはハワイに駐留するアメリカ軍と女性たちの力の不均衡から来ているのは明白だ。ハワイ在住の女性たちや娼婦などはアメリカ軍より弱い立場にあって、アメリカ兵士たちはそれを利用して、夫のいる女性と堂々と付き合ったりなど好き勝手している。アメリカ人娼婦やカレンなどアメリカ人相手にはある程度気を遣うものの、現地女性たちのことは尊重すべき人間と見ていない。
ということに作者が無自覚なのが最大の問題だ。作者はプルウィットやウォーデンの態度を好ましいものとずっと描いており、女性や現地の人々の苦難は眼中になく、アメリカ兵士たちの苦悩だけが問題であるという態度を取っている。たとえば終盤でウォーデンはおそらくプルウィットが死んだことで自暴自棄になり、中国人が経営する店を破壊するのだが、そのとき店を破壊された中国人の悲しみは小説としてはどうでもよく、ただひたすらウォーデンの「つらさ」が前景化される。
要はプルウィットもウォーデンもカレンもかれらの自由を希求していて、それを小説は素晴らしい姿勢として称揚しているのだが、その「自由」というものは征服者の自由であって、その陰でかれらの犠牲になっている者たちがいるということにまったく小説は無頓着なのである。
子供じゃないんだからそのくらいちゃんと考えろよというのがこの小説に対する最終的なコメントだろうか。