ヒルビリー・エレジー  J.D.ヴァンス

アメリカ版しろばんば

 

アメリカの田舎は魔境である。かつてアメリカ南部の陰鬱な狂気を描いた「トゥルー・ディテクティブ」というすぐれたドラマがあったが、アリゾナ出身のアメリカ人の知人が「あれこそまさにアメリカ南部」と言っていた。

 

ヒルビリーとはアパラチア山脈近辺に住み着くド田舎の住人たちである。アメリカは広い上に各地域がほぼ独立した権限を持っているので、「隣は何をする人ぞ」の拡大版がよく起こる。ヒルビリーは独自の文化を持ち、そして貧しく、先の見えない人生を送る白人たちである。かれらのことは何度か映画化もされている。たぶん一番有名なのはジェニファー・ローレンスがその演技力を見せつけた「ウィンターズ・ボーン」だ。クリスチャン・ベール主演の「ファーナス/ 訣別の朝」にもヒルビリーたちが悪役として出てくる。(ヒルビリーを演じているウディ・ハレルソンがいつもの悪役っぷりで笑ってしまう)いずれにしてもヒルビリーたちの世界は映画の観客にとっては異界であり、そこの住人たちは得体の知れない人々である。

 

そんな魔界にうごめいているようなヒルビリーたちの間からなんとイェールのロースクールに入り、弁護士になった男がいた。それが本書の著者、J.D.ヴァンスである。まるで貧しい田舎町からNASAに勤める技師になった主人公を描く「遠い空の向こうに」みたいな話である。ヴァンスは謎に満ちたヒルビリーたちを、愛情と批判的視点相半ばする立場から描いていく。

 

いわく、ヒルビリーたちはある意味では社会的構造の犠牲者であって、先の見えない人生を強いられている哀れな人々であるが、その人生を作り出しているのは本人たちの責任でもある。かれらには責任感がなく、衝動的で暴力的である。しかしそれは育てられ方の問題でもあるので、かれらだけの責任ではない。そういったことをヒルビリー出身者にしか描けないようなエピソード満載で綴っていく。

 

ただしこのヴァンスさんは大変真面目な人らしく、文章は決して面白くない。やたらとすぐに社会学的分析が顔を出すし、物語の面白さのためなら真実を犠牲にするタイプの人ではないのは確かだ。

 

そんな中で一番面白いのは祖母の存在である。祖母はヒルビリーなのに熱心に孫を教育し、そして信心深いが決して福音主義的ではない。子供の頃の主人公は今では離れて暮らしている自分の父のもとで短期間過ごすが、そのときに父が信じている福音主義に染まっていったというエピソードがある。それによって心の安定を得たものの、多宗派や俗な文化に対して異様に攻撃的になった。それに対して祖母は同性愛に対しても寛容である。すぐに銃を持ち出して大騒ぎするような人間性なのだが、彼女のキリスト教は一人一人を祝福するためにあるのだ。こういう強烈な祖母の存在が本書に与えられた最も重要な彩である。まさに『しろばんば』。

 

だから祖母の死後、文章は強烈に推進力を失っていく。正直、消化試合みたいなものだ。というのも、たぶんヴァンスさん本人がそんなに魅力のある人ではないのだと思う。なにせ海兵隊ですべてを学んだと言ってしまう人である。それはヒルビリーの中で育ったせいでロクな教育を受けてこなかったせいでもあるのだけれど、海兵隊の教えることを自分の人格の基盤にする人間が面白い文章を書けるわけがない。前半はまったく正しく生きていない人たちの舞踏会みたいな話なのだけれど、後半では正しく生きるヴァンスさんが正しく生きるということはどういうことなのか、力こぶを作って語っているのであった。