Ballen Ground by Ellen Grasgow

Barren Groundは1925年というハイモダニズム全盛期にそんなこと知ったことかとばかりに書かれたちっとも実験的ではない名作である。

 

出だしは限りなくセンチメンタルノベルに近い。田舎の純真な少女であるドリンダは、都会からやってきたジェイソンと恋に落ちる。どうせ捨てられて終わるんだろ、という読者の予想そのままに、ドリンダは妊娠させられ、捨てられる。

 

小説はやたらと宿命論的な考え方に言及するのだけれど、これはまさに宿命論的ですな、とか思ってたらここからがすごかった。ドリンダはその後、ニューヨークに旅立ち、そこで農業技術を学び、故郷に帰ってきてから父たちがどう耕しても「不毛の地」であった土地を実り豊かな大地に変え、一大農主として君臨するのだ。一方、彼女を捨てたジェイソンは零落し、アル中となる。

 

ただ、これがドリンダにとって幸せなことだったのかというと、そうでもない。彼女はジェイソンに捨てられたとき、いわば決定的に壊れてしまったのだ。それからの彼女は愛を知らず、若いときのような感受性も失ってしまう。結婚もするけれど、それはどちらかというと実利を求めての物であって、激しい愛の結果ではない。

 

そうやって北斗の拳サウザーみたいに愛を捨てたドリンダはやがて、健康を損ない、みなに見捨てられたジェイソンを引き取ることになる。ここが切ない。ドリンダは衰弱しきったジェイソンに30年前の姿を見る。そのとき、時が止まる。そしてドリンダは自分の人生の不毛さを嘆く。30年前に彼女は愛を失った。そうやって生きてきたその後の人生に、いったいどれだけの意味があるだろうか。

 

そうやってバーナード・ショウのように人生の無意味さを嘆いて終わるのかと思ったら、最後は土地こそが彼女の救いであって、いつでも彼女のそばにあるのだ、だから彼女は前を向いて生きていくのである、というようなちょっと強引な終わり方をした。このあたりは同じ南部作家であるトマス・ウルフに近いのかもしれない。時間にまつわる問題を、自然に関わる悠久の時間が無化してくれる、というこういう土地に対する信頼が農本主義につながっていくのだろうし、やはり北部のように工業化しなかったアメリカ南部に住む人々の素朴な感情につながっているのだろう。

 

いずれにしても、最初は不毛の地であった土地が、最後には主人公を救うものになっていく、という構図は見事だし、そこに時間の問題をからめているのも興味深かった。なによりドリンダの人物像はこの時代にして非常に新しく、魅力的であったろう。『若草物語』のジョーが自分の意志に従って生きていった場合の姿と言ったらいいだろうか。小説全体も宿命論的な重さがあるが、それに抗して生きていく主人公の姿は大変力強かった。